標題でいうところの一人称とは、「メッセージの伝え手 イコール 書き手」という意味です。
対する二人称とは、「ライターがヒアリングに基づいて文章を書いた状態」。
一応、そういう前提にしておいてください。
さて、ある紙媒体で、二人称から一人称への変更が起きました。
そうなると・・・院長は「○○」と言います・・・みたいな文章を、すべて平文へ戻す必要がある。
・・・なのだそうです・・・といった伝聞調も、本人が言っているわけですから、言い切りに直さなくちゃいけない。
でも、まあ、そんなところだろうと思っていたんですな。
実際、多くの出稿元が、それで済みました。
ところが、とある医院から、根本的なダメだしをくらってしまったのです。
いわく、「この内容は、第三者や患者の視点じゃないかと。もっと、医院の立場になって言葉を選んでくれ」と。
単なるひっくり返しではないという茶濁です
例えば、「患者さんが嫌がるようなことはしない」という表現。
客観的に見れば、別にどうということのない言い回しですよね。
ところが、行為者の医師からしてみれば、「嫌がる」という言葉自体、ありえないって話なんです。
イジメじゃないんだからと。
もう一例。
今度は、「自分に合った治療」。
これも、患者目線じゃないかと。
合っているかどうかを決めるのは患者、したがって、医師側が使う言葉ではないと。
医師からのメッセージとしては、あくまで「治療をご提案する」なんですね。
おっしゃるとおり。
たしかに、言われてみれば納得です。
この感覚、多くの先生がスルーしていました。ここまで具体的なワーディングを指摘されたことはありません。
でも、おそらく、そうあるべきなんです。
目からウロコ。まいった、まいった。
なるほどね。
例えば、一人称で「おいしい料理を提供する」ってのも、本来は成り立たないんです。
おいしいかどうかは、食べる側が決めることだから。
まあ、あえて「おいしい」を使うとすれば、
お客さんから「おいしい」と言っていただくために真心を込める
なんでしょう。
一人称と二人称の主体は異なる。
だから、立場により“なじまない”コトバが存在する。
語尾のひっくり返しだけでは済まない場合がある。
いい勉強をさせていただきました。
ただし、ここまで気を遣うかどうかは、場合によりけりでしょうけど。