【第28回】一人称と二人称の視差によるワーディングの違い

立場が変わると、言葉も変わる。

標題でいうところの一人称とは、「メッセージの伝え手 イコール 書き手」という意味です。
対する二人称とは、「ライターがヒアリングに基づいて文章を書いた状態」。
一応、そういう前提にしておいてください。
   
さて、ある紙媒体で、二人称から一人称への変更が起きました。
そうなると・・・院長は「○○」と言います・・・みたいな文章を、すべて平文へ戻す必要がある。
・・・なのだそうです・・・といった伝聞調も、本人が言っているわけですから、言い切りに直さなくちゃいけない。
でも、まあ、そんなところだろうと思っていたんですな。
実際、多くの出稿元が、それで済みました。
ところが、とある医院から、根本的なダメだしをくらってしまったのです。
いわく、「この内容は、第三者や患者の視点じゃないかと。もっと、医院の立場になって言葉を選んでくれ」と。
   
向き合うシーサー
単なるひっくり返しではないという茶濁です
   
例えば、「患者さんが嫌がるようなことはしない」という表現。
客観的に見れば、別にどうということのない言い回しですよね。
ところが、行為者の医師からしてみれば、「嫌がる」という言葉自体、ありえないって話なんです。
イジメじゃないんだからと。
   
もう一例。
今度は、「自分に合った治療」。
これも、患者目線じゃないかと。
合っているかどうかを決めるのは患者、したがって、医師側が使う言葉ではないと。
医師からのメッセージとしては、あくまで「治療をご提案する」なんですね。
   
おっしゃるとおり。
たしかに、言われてみれば納得です。
この感覚、多くの先生がスルーしていました。ここまで具体的なワーディングを指摘されたことはありません。
でも、おそらく、そうあるべきなんです。
目からウロコ。まいった、まいった。
   
なるほどね。
例えば、一人称で「おいしい料理を提供する」ってのも、本来は成り立たないんです。
おいしいかどうかは、食べる側が決めることだから。
まあ、あえて「おいしい」を使うとすれば、
   
お客さんから「おいしい」と言っていただくために真心を込める
   
なんでしょう。
一人称と二人称の主体は異なる。
だから、立場により“なじまない”コトバが存在する。
語尾のひっくり返しだけでは済まない場合がある。
   
いい勉強をさせていただきました。
ただし、ここまで気を遣うかどうかは、場合によりけりでしょうけど。

inserted by FC2 system